HUMAN

みんな同じ人間やないの

TMGEと俺と姉

 

チバが死んだ

 


チバが死んだ

 


チバも人間だったのだ

そのことをどこかですっかり忘れてしまっていた。

 


The Birthdayの音楽ももちろん大好きだったが、TMGEの音楽はこれまでも、これから先もずっと、私にとってこれ以上ない大切なものである。

 

中学2年生の時、姉が癌で死んだ。

とても珍しい癌で、姉は18歳にすらなる前に死んでしまった。

服と同じように、音楽も姉のお下がりを聴いていた私にとって、TMGEは私にとって初めての姉と繋がりのない音楽だった。


今もなんとなく追いかけているアイドルも姉が好きになったグループのメンバーの人だった。姉が別のグループを好きになった時、その人はそのグループにも属していたから、私はそのグループのことも好きになった。

他にも女性のソロアーティストや日本のロックバンド、当時自分の同級生がまだ誰1人聴いていなかったミュージシャンも姉が聴いているというだけで私も聴いていた。姉が買ってくれたCDもあった。病気が進行するにつれ、忘れっぽくなってしまった姉が「誰かから借りたものではなかったか」とそのCDについて同級生に連絡していたことを覚えている。でもそれは紛れもなく、姉が友人と出かけた時に私を想って買ってくれたCDだった。

当時いろんな音楽を知るきっかけになったラジオも姉と一緒に聴き始めたものだった。そこから知った音楽もたくさんあるが、どれも姉と2人で聴いたものとして自分の中で位置付けがされている。

私が小学校高学年から中学生になるにかけて知った音楽は本当に沢山あり、今でもどれにもたくさん姉との思い出がある意味で付き纏っている。

 


そんな姉が死んだのは2010年のことだった。

今年亡くなった沢山のミュージシャンたちについて、2009年にも大勢のミュージシャンが亡くなったことについて触れている人がいたが、姉が死んだのはその1年後だった。

 


2009年に亡くなったミュージシャンの中の1人がアベフトシだった。

 


姉が亡くなり、3年弱に及んだ姉の闘病生活も終わり、家族で毎日のように病院に通っていた日々も終わり、私は母のお弁当が何年ぶりかに食べられるようになり、突然戻った日常に戸惑いが隠せずにいた。

 


そんな中で夏休みに入り、部活も特に忙しくなかった私は暇を持て余していた。

そして訪れた7月、姉が生前にCDを買ってくれたバンドのボーカリストが、アベが亡くなって1年ということについてブログを書いていた。

内容ははっきりとは覚えていないが、彼自身がTMGEの音楽と出会った時のことが書かれており、「キャンディ・ハウス」という曲がきっかけだった、という文章があった。

それを読んだ私はThee Michelle Gun Elephantというバンドについてもっと知りたくなり、「キャンディ・ハウス」が聴きたくて仕方なくなった。

サブスクも配信も、スマホも何もなかった時代。YouTubeも携帯では見られなくて、今ほど手軽に新しい音楽を聴くことはできなかった。

もしかしたらCDを持っているかも、と母にThee Michelle Gun Elephantについて尋ねたが、名前は知っているも、ブレイク当時は子育てなどが忙しく、ちょうど音楽から離れていた頃だったことを残念そうに教えてくれた。

それでもTMGEの、どんな音楽でも聴きたかった私の様子を見て、行きつけのレコード・CDショップで母が買ってきてくれたのは「SABRINA HEAVEN」のCDだった。今から考えると、初めて聴くにしてはかなり渋いチョイスだったな、と少し笑えてしまうのだが、やっと手に入れたThee Michelle Gun Elephantの音楽に私はたまらなく嬉しくなり、すぐに部屋のミニコンポにCDを入れて聴いた。

それまでわかりやすく「かっこいい」音楽しか聴いてこなかった私にとって、初めてのTMGEの音楽はどこか大人びていて、媚びておらず、ある意味で怖いような、そんな音楽だった。

その影響か、今もSABRINA HEAVENを聴くと、他のTMGEのアルバムとは違った、人を寄せ付けないような印象を覚えてしまう。

SABRINA HEAVENを何度も聴き、初めてのTMGEのアルバムを大切にしていた私だったが、それでもやはり「キャンディ・ハウス」が聴きたかった。

パソコンで調べて聴くという発想がなかった当時の私は、ブックオフにて「キャンディ・ハウス」が入ったTMGEのアルバムを片っ端から探し、ようやくHigh Timeにたどり着いた。

SABRINA HEAVENとはまた全然違った印象の曲たちに、またもや私は魅了され、そしてようやく聴けた念願の「キャンディ・ハウス」が大好きになった。(このかなり後に、私はアルバムに入ってるのはtexas styleで、シングルバージョンとはまた別であるということを学ぶのだが、それはまた別の話である)

 


姉が亡くなってから、生活が空っぽになってしまった私にとって、TMGEの音楽は、新たな道しるべを見つけたかのようだった。

音楽というものは、こんなに心を奮い立たせてくれる、ということを知った私は他にもたくさん音楽を聴くようになり、文字通り「貪り食う」かのように、音楽をたくさん聴くようになった。

当時持っていた4GBしか入らない音楽プレイヤーはすぐにいっぱいになり、姉の形見だった8GBのiPodを借りてたくさんの音楽を詰め込んだ。

しまいにはそれもいっぱいになり、ついには160GBのHDDを搭載したiPod Classicを手に入れ、大切に聴いていた。(余談になるが、このiPodは今も大切に使っている。)

 


TMGEをきっかけに、私は姉の亡き後の生活を歩み始めることができた、と言っても過言ではない。

当時も今も、姉との思い出が遺る音楽に触れると、なんとも言えない、悲しいような、懐かしいような気持ちになる。

姉が観ることができなかった沢山のミュージシャンたちのライブに行けば、姉を思い出し、どうしても涙が出てしまう。グリーフケアという言葉もあるように、姉との思い出の音楽を聴くと、楽しむより先にgriefの深い悲しみが蘇ってきてしまうのである。

TMGEをきっかけに出会った様々な音楽は、そのような悲しみから私を切り離してくれる存在だった。

姉の死をきっかけにひどく落ち込みやすくなってしまった私は、学校の帰り道に何度もTMGEのアルバムを1曲目から聴いた。最後の曲になる頃には気分も幾分かマシになり、また頑張ろうと思えた。本当にたくさんお世話になった。

TMGEのアルバムを全て聴き終わる前に、RossoやThe Birthdayの音楽も聴くようになった。チバの声、チバの音楽を辿って、本当に沢山の音楽を聴くようになった。

 

 

 

今年、姉が亡くなってから13年が経った。私が14歳になる直前に亡くなった姉。もうすぐ姉が亡くなってからの年月が、姉と共に過ごした年月を上回る。私は姉より10歳も年上になってしまった。

そんな年にチバが死んでしまった。姉と同じ病気で。

私は幸運にも2回、The Birthdayのライブに行くことができた。1回目は初めて生で見たチバにただひたすら放心し、あまり記憶がない。しかし、当時のInstagramの投稿を見返すと「チバさんは本当に生きていた」と書いていて、当時の興奮がそのまま記されていた。

これからもまだまだ観る機会があると思っていた。本当にただただ悔しく、悲しい。

 


今はまだ「音楽は一生残るから」と前を向くことができない。だけど、私がTMGEと出会うきっかけになったのはアベの死だった。

これから先、たくさんの人がチバについて文章を書くだろう。文章だけでなく、音楽でも、何でも、様々な表現の仕方で、チバは語られるだろう。

その中で、13年前の自分のように、TMGEや、チバの様々な音楽に、初めて出会う人がいる。これから先、チバの声に初めて心を震わされる人がたくさんいる。

そのことを考えると、私も少しは前を向くことができる。

 

 

 

(敬称は略して書かせていただきました。アベさん、チバさん、向こうでもしバンドをまた組むことがあったら姉がライブに行くかも知れません。その時はよろしくお願いします。)