HUMAN

みんな同じ人間やないの

近況、無力感、めまいとしびれ

5月下旬から6月上旬にかけては本当に体調が悪かった。

 

家族の命日がある5月中旬にかけて体調が悪くなるのは毎年のことだが、今年はそれを過ぎても一向に気分が良くならず、ずっと寝てばかりいたため、あまり記憶がない。なぜ落ち込んでいたのかの理由もあまり思い出せない。

 

なんとなく覚えているのは、「誰も私の話を聞いてくれない」と思ったことと「誰も私のことを大切に思ってくれていない」と感じたこと。

 

LINEで友人の誕生日をギフト付きで祝った時に、リアクションスタンプのみで返事をされてしまい、それがかなりキツかった。

 

それもあり、衝動的にたくさんのLINEグループを抜けてしまった。

今思えば鬱と躁が入り混じった変に行動的な瞬間だったのだと思う。

 

とにかくずっと死にたいという気持ちだけがあり、実行に移す衝動はなくともずっと「どうやって死のうか」「どうやったら確実に死ねるか」ということをただただ考えていた。

 

Instagramのストーリーで暴れ散らかしてしまい、たくさんの人に迷惑や心配をかけた。

 

 

アメリカから帰ってきてから友人を失い続けている私だが、この数ヶ月は特に友人を数多く失った。

 

理由を言ってくれた人もいたし、よくわからない人もいる。

今となってはその程度の仲の人が離れていってくれてよかったな、と思う。

今の私には友人と遊ぶ体力も気力もない。

 

ただ、1人、縁を切ってくれてめちゃくちゃ嬉しかった人がいた。

ずっと子供の頃から苦しめられていて、ただただ腐れ縁というだけで付き合っていた仲の人だった。

もう本当に一生関わることがないことを祈っている。

本当に、お願いします。お願いします。

 

 

今は薬の服用のおかげもあり、かなり落ち着いてはきたが、それでもまだ平常心と言えるのかはわからず、つらい状態は続いている。

 

死にたいという気持ちが床に横たわっているのを必死で見ないようにして前を向いて生きているような気持ち。

 

先日書いた肝臓の数値の悪さ、というのがだるさにつながっているらしく、薬をひとつ減らしたらかなりだるさがなくなったのだが、代わりにひどい離脱症状が出た。

 

初めてめまいやしびれ、いわゆるシャンビリ感を初めて体感し、これにはかなり苦しめられた。

 

歩くたびに身体に響くしびれ、立ち上がって歩き始めると起きるめまい、誰にもわかってもらえず、かと言ってうまく説明もできなかった。

 

薬の調整に続く調整、服用スケジュールのコントロール…

 

自分の身体のことなのに、他人の身体の世話をするように薬を飲む。

 

「明日死んでも良い」と思っているのに、どうして薬を飲み続ける必要があるのか。

 

仕事もあまり面白くはないし、給料は低い。正直毎日が全く楽しくない。

 

気晴らしに買い物をし続けていたら金銭関係が大変なことになった。

 

この間キャリアカウンセリングのようなものを受けて「それは転職するべきです」みたいなことを言われてとりあえずポチポチと数社応募してみたけど、どうなるかなあ。

 

とにかく金を稼ぎたい。幸せを感じたい。

 

部屋を掃除したい。本棚が欲しい。良い感じの水筒が欲しい。

 

ただ薬を飲み、低賃金の仕事へ行き、また薬を飲む毎日。

 

私はこんな日々のために留学をしたのだろうか。

 

生きる喜びがない。

 

私は薬を飲む機械。

 

 

それでも、カツ丼は食べたい

何年前だったか、胃腸の調子が悪くて消化器内科に行ったときに脂肪肝であることがわかった。

 

当時私はアメリカに留学中で、ファストフードもたんまり食べていたので、それが理由かと思っていた。

 

そんな留学生活も終わり、2年が経った。

 

精神科で炭酸リチウムを処方してもらっているのと、産婦人科でピルを処方してもらっているのとで、いつものように血液検査を受けていたところ、肝臓の数値が悪いことが判明。

 

紹介状を書いてもらい、再び消化器内科へ行くことに。

 

また血液検査と超音波検査を受けて、まだ脂肪肝であることが判明。

 

実は私はアメリカ時代は超節約生活を送っていたために食事をスキップすることもあり、激痩せしていたのが、日本に帰ってきてから実家の母の食事やありがたいほどに安いメシの恩恵を受け、なんと10キロも太ってしまったのだ。

 

「10キロはダメですね」とお医者さん。私もわかっている。

 

結果的に2か月に一度程度で通院を続けながら様子を見ることになった。

 

脂肪肝で死ねるのならよかったのにな、と思う。

 

死ねないどころか、最悪の事態になったらただの生き地獄を味わうだけなんじゃないだろうか。

 

ポックリ死ねる病気ならよかったのに!!

 

食事は私にとって楽しみであり、幸福である。

 

仕事中もグーグルマップで職場付近のお店をいつもチェックしている。

 

コンビニ飯より、お店で提供されるアツアツのご飯が好きだ。

 

そんな私だから、食事制限は泣くほどつらい。

 

ひとまず間食を減らしながらとりあえず様子を見てはいるものの、特に変化はない。

 

それでも、私はカツ丼が食べたい。

カツ丼を食べていたい。

 

出汁が染みたごはん、プリプリの卵に包まれたサクサクのカツ。

 

人生の喜びは美味しいカツ丼を食べることにある。

 

それなのに、というか、それだからか

 

脂肪肝は治らない一方だ。

 

お酒もあまり飲まないし、肥満というわけでもないので、何が原因なのかがわからず、余計に対策のやる気が起きない。

 

鬱もあり、生きることに消極的なので、どんどん不健康になってやろうという気持ちも無くは無い。

 

でも死ねない病気だからなーーーーーー

 

10日後に控えた消化器内科の受診に対する気が重い。

 

それでも食べますよ、カツ丼。

 

あの美しき、カツ丼!

ヴェネチア・ビエンナーレが開幕していた【記事まとめ】

いつの間にか2年が経ち、ヴェネチア・ビエンナーレの季節がやってきました。

今年の会期は5月9日から11月22日まで。半年に渡ります。

ヴェネチア、行きて~と思いますが、さすがに行けないわな、と私と同じ気持ちになっているすべての人のために今年の日本館の展示の詳細について書かれた記事をまとめていこうと思います。

 

まずヴェネチア・ビエンナーレって何?ということを知りたい方はこちらから。

artnewsjapan.com

 

今回、戦争の影響もあり、イランは不参加となっている。

www.artnews.com

 

その半面でロシア・イスラエルの参加には抗議運動も起きたそう。

www.artnews.com

 

今年の日本館は荒川ナッシュ医さんの展示

bijutsutecho.com

日本(東京)では凱旋展示が行われるようだ。そちらにも注目したい。

venezia-biennale-japan.jpf.go.jp

 

ARTnews JAPANが荒川ナッシュ医さんにインタビューをしていました。

artnewsjapan.com

 

学芸員は二人の共同キュレーター制。

両者ともに国外で活躍しているキュレーターです。

bijutsutecho.com

堀川さんについては朝日新聞の記事がありました。

www.asahi.com

 

その他日本人が参加している展示はこちらから。

artnewsjapan.com

 

おまけ

ビエンナーレの外にあるクソデカヨットは誰のやねん?という記事。

世のお金持ちたちの存在がまぶしいです。

www.artnews.com

29歳 まだまだ死にたい

この間久しぶりに記事を更新したら28歳の時の死にたいブログが出てきて、まだ死にたい自分にウケたし、1年おきにこういう記事書いてるのも生存確認みたいで面白いんじゃね?思って再び同じトピックについて書きます。

 

29歳、2年前に双極性障害がわかって服薬治療を開始しました。

 

最近は冬季鬱が本当にひどくて、起き上がれなかったり、お風呂に入れなかったり、歯磨きできなかったり…

 

病院に駆け込んでお薬を増やしてもらったものの、これ飲んでて意味あるのかなあって感じで。

 

こないだの選挙の結果もそうだけど、生きるに値する世の中か?ってすげえ思っちゃって。

 

薬も診察もお金かかる中毎月行っててさ、気分悪くなりながら増薬と戦って、

 

なんかそれをして良いことあるのかなあって思っちゃう。

 

 

友達が「今こそhopemaxxingの時代だ!」って言っててとても良いなあと思ったけどもう私にはそんなエネルギーはない。

www.urbandictionary.com

 

希望って良い言葉だよなあと思うけどもう期待するのも疲れたしさっさと死んでしまいたいよ!!

と思いながら2年連続このような記事を書いているわけなんですけど。

 

多分このままダラダラ生きていくんだと思う。私はこれからも。

 

その中で少しでも楽しいことが多かったら良いなあと思うけど、もうなさそうだし。

 

こういう考え方が病気のせいなのか、自分の考え方の癖なのか、わからない。

 

でももう良い加減疲れたし、解放されたい。

 

でも私には死ぬきっかけも、勇気もない。

 

残された寿命で何をすれば良いのだろう。

#さえちゃん婚活 結婚に関するアンケートまとめ・振り返り

皆様こんにちは、こんばんは。

 

この度InstagramTwitterで結婚に関するアンケートへの回答を呼びかけまして、結果28名の回答が集まりました。

その結果をGoogleドキュメントにまとめましたので、ぜひご覧ください。

詳細は下のファイルに書いてありますので、ぜひ読んでみてください!

 

docs.google.com

28歳 まだ死にたい

もう全然ダメ

ぜ〜んぜんだめ

 

これもベッドで横になりながら書いてる

しんどすぎる

 

正直28歳になってもまだ死にたいと思っていると10年前の私は考えていなかった。虚しすぎる。

 

あれからたくさんのことを掴み取ってやり遂げてきたけれど行く末がこのような精神状態であるとは当時の私にはとても言えない。

本当に申し訳ない。

 

去年の夏もこういう気持ちで1人ベッドで腐っていたのだけど、その時「せめて実家に帰ることができたら」と考えていたその実家に今いるのに今も落ち込んでいるというのは皮肉な話である。

 

多分私は今後幸せを感じることはない。

また〜、と言われるかもしれないが今は本当にそのような気持ちである。

 

この幸せは信じていいだろう!と一方的に思っていた幸せにも裏切られ、もう私は疲れた。これは自分の責任であるかもしれない。

 

正気でいるための薬も診察代も高い。

 

屋上から飛び降りるのはタダだ。

でもなんかやる気にならないんだよなあ、しんどいし。ベッドから起き上がれん。

 

薬をたくさん飲むのはどうか、と検索したけど気分が悪くなって吐きまくるだけだ、という検索結果が出てきて、ほな効果ないかーと。

 

やっぱり去年死んでおくべきだったんだろうな。

多分生きているということ自体が自分への試練というか、修行というか、なんかそういった、背負わされている十字架のようなものなのだろうと思う。

あきらめたいよー

 

全部諦めたい 誰のことも気にせずにふらっと飛び降りることができたら楽だろうに。

 

こういう気持ちでかれこれ15年ほど生きている。これからも生きていくのかなあ あー

TMGEと俺と姉

 

チバが死んだ

 


チバが死んだ

 


チバも人間だったのだ

そのことをどこかですっかり忘れてしまっていた。

 


The Birthdayの音楽ももちろん大好きだったが、TMGEの音楽はこれまでも、これから先もずっと、私にとってこれ以上ない大切なものである。

 

中学2年生の時、姉が癌で死んだ。

とても珍しい癌で、姉は18歳にすらなる前に死んでしまった。

服と同じように、音楽も姉のお下がりを聴いていた私にとって、TMGEは私にとって初めての姉と繋がりのない音楽だった。


今もなんとなく追いかけているアイドルも姉が好きになったグループのメンバーの人だった。姉が別のグループを好きになった時、その人はそのグループにも属していたから、私はそのグループのことも好きになった。

他にも女性のソロアーティストや日本のロックバンド、当時自分の同級生がまだ誰1人聴いていなかったミュージシャンも姉が聴いているというだけで私も聴いていた。姉が買ってくれたCDもあった。病気が進行するにつれ、忘れっぽくなってしまった姉が「誰かから借りたものではなかったか」とそのCDについて同級生に連絡していたことを覚えている。でもそれは紛れもなく、姉が友人と出かけた時に私を想って買ってくれたCDだった。

当時いろんな音楽を知るきっかけになったラジオも姉と一緒に聴き始めたものだった。そこから知った音楽もたくさんあるが、どれも姉と2人で聴いたものとして自分の中で位置付けがされている。

私が小学校高学年から中学生になるにかけて知った音楽は本当に沢山あり、今でもどれにもたくさん姉との思い出がある意味で付き纏っている。

 


そんな姉が死んだのは2010年のことだった。

今年亡くなった沢山のミュージシャンたちについて、2009年にも大勢のミュージシャンが亡くなったことについて触れている人がいたが、姉が死んだのはその1年後だった。

 


2009年に亡くなったミュージシャンの中の1人がアベフトシだった。

 


姉が亡くなり、3年弱に及んだ姉の闘病生活も終わり、家族で毎日のように病院に通っていた日々も終わり、私は母のお弁当が何年ぶりかに食べられるようになり、突然戻った日常に戸惑いが隠せずにいた。

 


そんな中で夏休みに入り、部活も特に忙しくなかった私は暇を持て余していた。

そして訪れた7月、姉が生前にCDを買ってくれたバンドのボーカリストが、アベが亡くなって1年ということについてブログを書いていた。

内容ははっきりとは覚えていないが、彼自身がTMGEの音楽と出会った時のことが書かれており、「キャンディ・ハウス」という曲がきっかけだった、という文章があった。

それを読んだ私はThee Michelle Gun Elephantというバンドについてもっと知りたくなり、「キャンディ・ハウス」が聴きたくて仕方なくなった。

サブスクも配信も、スマホも何もなかった時代。YouTubeも携帯では見られなくて、今ほど手軽に新しい音楽を聴くことはできなかった。

もしかしたらCDを持っているかも、と母にThee Michelle Gun Elephantについて尋ねたが、名前は知っているも、ブレイク当時は子育てなどが忙しく、ちょうど音楽から離れていた頃だったことを残念そうに教えてくれた。

それでもTMGEの、どんな音楽でも聴きたかった私の様子を見て、行きつけのレコード・CDショップで母が買ってきてくれたのは「SABRINA HEAVEN」のCDだった。今から考えると、初めて聴くにしてはかなり渋いチョイスだったな、と少し笑えてしまうのだが、やっと手に入れたThee Michelle Gun Elephantの音楽に私はたまらなく嬉しくなり、すぐに部屋のミニコンポにCDを入れて聴いた。

それまでわかりやすく「かっこいい」音楽しか聴いてこなかった私にとって、初めてのTMGEの音楽はどこか大人びていて、媚びておらず、ある意味で怖いような、そんな音楽だった。

その影響か、今もSABRINA HEAVENを聴くと、他のTMGEのアルバムとは違った、人を寄せ付けないような印象を覚えてしまう。

SABRINA HEAVENを何度も聴き、初めてのTMGEのアルバムを大切にしていた私だったが、それでもやはり「キャンディ・ハウス」が聴きたかった。

パソコンで調べて聴くという発想がなかった当時の私は、ブックオフにて「キャンディ・ハウス」が入ったTMGEのアルバムを片っ端から探し、ようやくHigh Timeにたどり着いた。

SABRINA HEAVENとはまた全然違った印象の曲たちに、またもや私は魅了され、そしてようやく聴けた念願の「キャンディ・ハウス」が大好きになった。(このかなり後に、私はアルバムに入ってるのはtexas styleで、シングルバージョンとはまた別であるということを学ぶのだが、それはまた別の話である)

 


姉が亡くなってから、生活が空っぽになってしまった私にとって、TMGEの音楽は、新たな道しるべを見つけたかのようだった。

音楽というものは、こんなに心を奮い立たせてくれる、ということを知った私は他にもたくさん音楽を聴くようになり、文字通り「貪り食う」かのように、音楽をたくさん聴くようになった。

当時持っていた4GBしか入らない音楽プレイヤーはすぐにいっぱいになり、姉の形見だった8GBのiPodを借りてたくさんの音楽を詰め込んだ。

しまいにはそれもいっぱいになり、ついには160GBのHDDを搭載したiPod Classicを手に入れ、大切に聴いていた。(余談になるが、このiPodは今も大切に使っている。)

 


TMGEをきっかけに、私は姉の亡き後の生活を歩み始めることができた、と言っても過言ではない。

当時も今も、姉との思い出が遺る音楽に触れると、なんとも言えない、悲しいような、懐かしいような気持ちになる。

姉が観ることができなかった沢山のミュージシャンたちのライブに行けば、姉を思い出し、どうしても涙が出てしまう。グリーフケアという言葉もあるように、姉との思い出の音楽を聴くと、楽しむより先にgriefの深い悲しみが蘇ってきてしまうのである。

TMGEをきっかけに出会った様々な音楽は、そのような悲しみから私を切り離してくれる存在だった。

姉の死をきっかけにひどく落ち込みやすくなってしまった私は、学校の帰り道に何度もTMGEのアルバムを1曲目から聴いた。最後の曲になる頃には気分も幾分かマシになり、また頑張ろうと思えた。本当にたくさんお世話になった。

TMGEのアルバムを全て聴き終わる前に、RossoやThe Birthdayの音楽も聴くようになった。チバの声、チバの音楽を辿って、本当に沢山の音楽を聴くようになった。

 

 

 

今年、姉が亡くなってから13年が経った。私が14歳になる直前に亡くなった姉。もうすぐ姉が亡くなってからの年月が、姉と共に過ごした年月を上回る。私は姉より10歳も年上になってしまった。

そんな年にチバが死んでしまった。姉と同じ病気で。

私は幸運にも2回、The Birthdayのライブに行くことができた。1回目は初めて生で見たチバにただひたすら放心し、あまり記憶がない。しかし、当時のInstagramの投稿を見返すと「チバさんは本当に生きていた」と書いていて、当時の興奮がそのまま記されていた。

これからもまだまだ観る機会があると思っていた。本当にただただ悔しく、悲しい。

 


今はまだ「音楽は一生残るから」と前を向くことができない。だけど、私がTMGEと出会うきっかけになったのはアベの死だった。

これから先、たくさんの人がチバについて文章を書くだろう。文章だけでなく、音楽でも、何でも、様々な表現の仕方で、チバは語られるだろう。

その中で、13年前の自分のように、TMGEや、チバの様々な音楽に、初めて出会う人がいる。これから先、チバの声に初めて心を震わされる人がたくさんいる。

そのことを考えると、私も少しは前を向くことができる。

 

 

 

(敬称は略して書かせていただきました。アベさん、チバさん、向こうでもしバンドをまた組むことがあったら姉がライブに行くかも知れません。その時はよろしくお願いします。)